浦和地方裁判所 昭和61年(ワ)174号 判決 1993年8月30日
原告
菅野寿
右訴訟代理人弁護士
宮崎梧一
同
長瀬厚一郎
同
加村啓二
被告
田中茂
右訴訟代理人弁護士
早川忠孝
同
松坂祐輔
同
河野純子
右訴訟復代理人弁護士
野間自子
同
空田卓夫
同
濱口善紀
主文
一 被告は原告に対し三〇〇万円及びこれに対する昭和六一年二月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 主文第一項と同旨。
2 被告は原告に対し朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の各朝刊全国版の社会面広告欄に、二段抜きで、別紙記載の謝罪広告を、見出しと原告、被告の氏名は一倍半の活字をもって、その他は一倍の活字をもって一回掲載せよ。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 第1項につき仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は埼玉県和光市所在の「東武中央病院」の院長であって、もと日本医師会常任理事の経歴を有する医師であり、被告は肩書住所地で「田中医院」を開業している医師であり、昭和六〇年六月当時日本医師会の代議員であった。
2 原告は昭和六一年に施行される参議院議員選挙について、日本医師会の政治団体である日本医師連盟から比例代表選出議員の候補者として推せんを受けようとして名乗りを挙げていたところ、被告は、日本医師連盟における右推せん候補者を選出するための選挙期日(昭和六〇年六月六日)が切迫した昭和六〇年六月二日ころ、次のとおり記載された同月二日付けの「菅野寿氏の参議院議員立候補に強く反対を表明します。」と題する書面(以下「本件書面」という。)を作成して日本医師連盟の役員、委員約一六〇名に郵送して配布した。
「想えば昭和四三年に私は患家の依頼を受けて、故星野豊麻(元町長)の一人息子(不幸にして精薄、大正一二年生)の静夫氏を東武中央病院(現・菅野寿院長)に入院せしめた。
二年前に静夫氏の土地が、親類に相談もなく、知らない間に売りに出されているので、静夫氏に面会に行ったが、菅野院長が会わせてくれないと、静夫氏の養女・星野礼子さん(豊麻夫人の姪)が、私の所へ相談に来られました。
礼子さんが依頼した高木弁護士も何度か静夫氏に面会を求めたが、菅野院長に断られ、遂に一度も会っていない。理由は、静夫氏の後見人と称する山本弁護士の許可なくしては何人たりとも会わせないとの事でありました。
最近、知り得た事ですが、この土地、約六〇〇坪(推定二億四〇〇〇万円)が既に売却されております。
私の知る静夫氏は売買の判断能力などない筈です。
その売却代金がどうなっているのか、静夫氏名義で預金されているのか、山本弁護士が保管しているのか、菅野氏が管理しているのか杳として知れません。
重度心身障害者の認定を受けている入院費無料の静夫氏は殆んど金銭は必要ない筈です。
本年五月になり、また他の土地二カ所が売却されていることを高木弁護士より間接的に聞いたが、その総額は数億円と推定されるとのことです。
和光市民は、菅野氏と山本弁護士に対し大きな疑惑をもっています。
本年五月中旬、二年ぶりに星野礼子さんが長男・学君の病気で私の診療所を訪れ、相談されました。
礼子さんは、山本弁護士より礼子さんの不貞を証明するという興信所の調書を呈示され、星野家からの離籍を迫られた。離籍に応じなければ、豊麻夫人の言で分封相続した約六〇〇坪は静夫氏の諒解なく相続したのであるから横領罪に当り、告訴すると言われ、やむなく離籍に応じ、六〇〇坪の土地も取り上げられ、内八〇坪は山本弁護士より“慰藉料”として与えられた、とのことを話しました。
とにかく疲れました。もう財産などはどうでも良くなった。子供達と三人の平和な生活があればよい。山本弁護士は本当に恐しい人で、もう私は医者と弁護士は信じられない、と述懐していました。
礼子さんは、未処分の土地がまだ三カ所はある筈で土地資産は七〜八億円は静夫氏名儀で残っている。更に、静夫氏名義の土地は、静夫氏死亡後は、菅野氏の病院に寄付され、彼の葬儀は病院で盛大に行うことになっている、と山本弁護士から聴いていると付け加えて、私に話しました。
私は星野家の主治医として、関節リューマチに悩む星野豊麻氏に目をかけられ、若かった私は氏の学究肌と一徹な性格を尊敬し、人間的交流を楽しんでいました。静夫氏に心を残して豊麻夫人は死亡、養女礼子さんは今や除籍され、静夫氏に血のつながる者は星野籍にはもういません。
菅野寿氏は、上記内容を知り、不審をもっている和光市民に身の潔白を証明すべきであります。
和光市で共に二十数年、友人として今日まで交誼のあった菅野氏と私ではありますが、彼が私の患家に対する疑惑の解明がない現在、菅野氏の参議院議員出馬に断固、反対を表明せざるを得ません。
梨下に冠を正してはならないのであります。 以上」
3 本件書面の記載内容は、これを読む者をして、一様に、原告は、自己の経営する病院の入院患者である星野静雄(書面では「静夫」となっている。以下「静雄」という。)が精神薄弱者であって、知能が低く、しかも、身寄りもなく孤立無援の状況にあるのに乗じて(いな、むしろ血縁者を遠ざける方策を弄して孤立無援の状況を作出して)、その所有の時価数億円もの土地を売却処分させ、残りの時価七、八億円の土地も本人の死亡後は自己の経営する病院に寄附することを約束させるなど、不正を働いている疑いがある、との印象を抱かせるに十分である。しかしながら、原告は、静雄所有の土地の売却処分についてはいささかたりとも関与したことはないし、その所有する土地の一部を本人死亡後病院に寄附することを約束させたこともない。また、星野礼子(正しくは禮子。以下「禮子」という。)、弁護士・高木某らと静雄との面会を理由なしに拒絶したこともないのであり、本件書面の記載内容は全くの虚偽であり、事実無根である。右記載内容は、原告の人格に対する社会一般の評価を低下させる性質のものであるから、被告は、本件書面を郵送する際、これにより原告の名誉が毀損されるに至ることを認識していたとみるのが至当であり、仮に、そうでないとしても、このことは通常人であれば容易に認識し得たはずである。したがって、被告は原告に対し、名誉毀損による不法行為責任を負うべきである。
4 本件書面が郵送されたことにより、その記載の事実は原告に係るスキャンダルとして、日本医師連盟の役員、委員の承知するところとなったばかりか、これらの役員等を通じて全国の医師約一九万人の大半にも知れ渡るところとなったと推測される。のみならず、原告は、前記選挙期日において、本件書面に記載の疑惑があるとして、推せん候補者から外されてしまい、参議院議員となることの年来の夢を無残に打ちくだかれてしまった。このように、原告は被告によって屈辱的な苦痛を被ったのであり、これに対する慰謝料は三〇〇万円とするのが相当である。加えて、原告が被った社会的名誉の失墜は、右金銭による賠償のみでは回復されず、そのためには被告をして別紙記載の謝罪広告を、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の各朝刊全国版の社会面欄に、二段抜きで、見出しと原告、被告の氏名は一倍半の活字をもって、その他は一倍の活字をもって一回掲載させる必要がある。
よって、原告は被告に対し、右慰謝料三〇〇万円とこれに対する不法行為の後である昭和六一年二月二六日(本訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払並びに右新聞広告の掲載を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2の各事実は認める。
2 同3の主張は争う。
本件書面は、これを素直に読むときは、その記載内容中には原告の名誉を毀損するような事実は含まれておらず、この点についての原告の主張は被害妄想的なものである。
3 同4の主張はすべて争う。
本件書面は日本医師連盟の役員、委員に配付されたにすぎないのであり、これによって原告の名誉が毀損されたことがあったとしても、朝日、毎日、読売の三大新聞に謝罪広告をするというのはその回復手段として著しく均衡を欠き、不当である。
三 抗弁
仮に、本件書面の記載内容中に原告の名誉を毀損するような事実が含まれているとしても、被告がこれを公表したのは、いたずらに原告を誹謗中傷しようとしたのではなく、国会という良識の府に立つのに相応しくない人物を日本医師連盟から参議院議員選挙の候補者として推せんするというような事態は何としても避けなければならないという個人の良心及び日本医師会代議員としての責任感によるものであり、もっぱら公益を図る目的からしたことである。しかも、本件書面に記載された事実は後記のとおりすべて真実であり、たとえ、その一部に真実でないものがあるとしても、被告は、そのすべてを真実と信じたのであって、後記のような事情を総合すれば、被告がそのように信じたことには相当の理由がある。したがって、被告が日本医師連盟の役員等に本件書面を郵送したことは違法性若しくは故意又は過失を欠くことになり、不法行為は成立しない。
本件文書の記載内容は主として被告が禮子から聞いて知ったことから成ってはいるが、そのなかで次の事柄は紛れもない事実である。
(一) 被告は星野豊麻(以下「豊麻」という。)とその家族の主治医として豊麻とは長年にわたって親交があり、その家族のことも熟知するところであった。豊麻の長男である静雄は性来の精神薄弱者であり、知能程度が低く、加減乗除の計算はもとより利害得失の判断さえできない状態である。禮子は豊麻の実の子であるが、生後間もなく、他人に預けられ、その子として成育した。したがって、静雄と禮子とは実の兄妹の間柄にあるところ、豊麻とその妻ムツは自分たち夫婦亡きあとの静雄の面倒を託するために、昭和四〇年に禮子とその夫である星野正志(以下「正志」という。)を静雄の養子とした。そして、豊麻とムツが昭和四三年に相次いで亡くなったあと、被告は、静雄を入院させたいというその親族関係者に頼まれ、原告が経営する東武中央病院を紹介してやった。こうして、静雄はその年の末ころから東武中央病院に入院しているのであり、その間に、静雄は禮子の申請に基づいて重度心身障害者の認定を受けており、以降、入院費用は無料となっている。静雄の病名は「精神薄弱兼心因反応」であり、知能はIQ四八程度である。
(二) 豊麻は埼玉県和光市(旧大和町)では名の知れた資産家であり、静雄は豊麻の死亡に伴い多くの土地建物を相続により承継取得した。ところが、その後、右土地建物のうちかなりのものが売買、贈与等によって処分されている。その筆数は、被告が本件文書を作成した昭和六〇年六月の時点で、売却された土地が四七筆、贈与された土地が八筆、代物弁済に供された土地が二筆、寄附された土地が一筆、合せて五八筆にのぼっている。
(三) 禮子と正志夫婦の間には昭和五八年一〇月三日協議離婚が成立した。これより先の昭和五六年一〇月二七日、禮子から正志を相手方とする調停の申立てがされたが、それ以降、禮子は東武中央病院において病院関係者から静雄との面会を拒絶されている。このことは、禮子がひとりで病院を訪問した場合ばかりでなく、親類の者や弁護士を同道した場合でも同様であった。
(四) 埼玉県和光市新倉<番地略>の土地とその上の三筆の建物については、静雄から正志・禮子夫婦とその間の二人の子に対する所有権移転登記がされていたところ、弁護士・山本正士(以下「山本弁護士」という。)は昭和五八年八月ころ、静雄の訴訟代理人として、正志ら四名を相手方として、右所有権移転登記抹消登記手続請求の訴訟を提起している。また、山本弁護士は、昭和五八年から同五九年にかけて、静雄の代理人として、その所有の九筆、合計564.19平方メートル(約一七〇坪)の土地を売却処分した。しかしながら、山本弁護士は、当初は、禮子を相手方とする前記離婚調停申立事件において、相手方である正志の代理人であった人物であり、昭和五八年一二月二六日に成立した前記所有権移転登記抹消登記手続請求訴訟の和解においては、山本弁護士は禮子に対し静雄との離縁を要求し、禮子はこれを承諾した。
以上の事実からすれば、静雄は、元来、ひとりではその財産を管理したり、処分したりする能力を有していないのであり、その財産を処分するためには静雄について準禁治産宣告を受け、その保佐人の同意を得るという手続が必要である。それにもかかわらず、このような手続を経ることなしに、静雄の財産の多くが売却等の処分をされたのには正志をはじめ、山本弁護士その他の関係者の陰謀があったことを推認するに十分である。静雄は東武中央病院に入院しており、その入院費用が無料となっていることからすれば、静雄が多額の金銭を必要とする事情は存しないこと、静雄の財産を処分することによって得た金銭はどれほどであり、それが何に使われ、どのように管理されているかについてはいずれの関係者からも明らかにされていないことは右陰謀の事実を裏書きするものである。そして、静雄が東武中央病院に入院している患者であることからすれば、右のようなことは院長である原告をはじめ、病院関係者の関与なくしてはできないことであり、原告が禮子に対し、静雄の残りの財産はその死亡後は東武中央病院に寄附されることになっていると言ったことについては、被告は、禮子から聞いただけではなく、その場に同席した斉藤輝一に対してもこれが事実かどうか確かめている。
以上の次第であって、本件文書に記載された事実はすべて真実であり、仮に右のような関係者の陰謀による静雄の財産の不正な処分に原告が関与していないとしても、前記のような事実関係に、次のような事実を併せて考えれば、被告が原告の関与を信じたことには相当の理由がある。
(一) 昭和五七年ころ、もと東武中央病院の副院長であった医師・村林利兵衛から日本医師会の会長に対して昭和三六年当時の東武中央病院の経営状態や当時の院長であった原告の行状について書面による直訴があった。その内容は、(1)原告は、病院の経営を始める以前、いわゆる進駐軍のキャンプ内に数個所の診療所を設け、キャンプで働く日本人従業員の健康診断・血液、尿の検査を受け持っていたが、実際には誰も原告が血液や尿の検査をするところを見た者はなく、検査をしないのに、したような報告書を作成し、報酬を受けていた疑いがある、(2)昭和三五、六年ころ、原告は、いわゆる導入屋を使って、多数人から多額の借財をした後、債権者からの追求を免れるため、病院の経営者の名義を一時的に原告から尾形登美子へ変更し、多額の債権を踏み倒したが、これは最初から意図的に仕組まれたものである、(3)昭和三六年ころ、東武中央病院においては、従業員に対する給料が支払われず、従業員らは村林医師が中心となって労働組合を結成し、その名において東武中央病院が有する社会保険診療報酬債権を差し押え、これによって給料、年末一時金等の支払を受けたことがある、などというものであった。当時、被告は、日本医師会の代議員であった関係から、右書面を見る機会があり、原告に対して不信感を抱くようになった。
(二) 被告が埼玉県医師会朝霞支部の支部長をしていた昭和三七年ころ、原告は、兄・菅野一が立候補した衆議院議員選挙に関し公職選挙法の買収の罪に問われ、懲役二年六月、執行猶予五年の有罪判決を受け、公民権を停止された。
右のように、原告は、本件文書が配布される以前の、過去の行状において全人格的に問題の多い人物であり、日本医師連盟から参議院議員選挙の候補者として推せんされるに適する資格要件を備えていないのである。本件文書は、このような前提に立って、全人格的に問題のある原告が、さらにその経営する病院の入院患者の不正な財産処分に関し何らかの関与をしている疑惑があることを指摘し、その参議院議員選挙の候補者として推せんを受けることの適格性について論評し、推せんに係る日本医師連盟の関係者に対し一つの情報を提供しようとしたものである。したがって、本件文書は政治的問題に関する評論文の一種であって、このような評論文の公表は、それが公正なものであれば、憲法第二一条が保障する表現の自由として尊重され、これによる個人の名誉の侵害ということは本来的にあり得ないことである。
四 抗弁に対する認否
静雄が豊麻から相続によって取得した土地の処分について原告が関与したことは否認する。被告において原告がこれに関与したと信じたことに相当の理由があるとの主張は争う。
静雄は豊麻から多くの土地建物を相続によって取得しているが、これを土地についてだけみるのに、このうち三六筆の土地が昭和五三年一一月三〇日と同年一二月一日の二回にわたって株式会社三友工務店に売り渡されている。これらの土地の地積合計は1896.69平方メートル(573.74坪)に及んでおり、そのうちには贈与を原因として静雄から正志・禮子夫婦とその間の二人の子(当時、未成年)への所有権移転登記がされていたものと、登記簿上、静雄の所有となったままのものとがあるが、いずれにしても、右の土地売却処分は正志・禮子夫婦が通謀のうえでか、若しくはその一方がほしいままにしたものであって、静雄の意思に基づくものでない疑いがその処分の経過からして極めて濃厚である。そして、さらに、静雄が豊麻から相続によって取得した土地のうち九筆、地積合計564.19平方メートル(170.67坪)が、昭和五八年九月ころから同五九年五月初めにかけて、宗教法人和光寺その他の者に対し代金合計九七九四万三七五〇円で売り渡されている。本件書面で「二年前に静夫氏の土地が、親類に相談もなく、知らない間に売りに出されている」とされているのはこの売買を指すものと考えられるが、書面では売りに出されている土地というのは「約六〇〇坪(推定二億四〇〇〇万円)」であるというのであって、全く事実に反している。右の土地売却処分は山本弁護士が静雄の代理人としてこれをしており、静雄の保護義務者である正志もこれに係っているようであるが、当時、原告は山本弁護士とも正志とも一面識もなく、その関係者から何の依頼も受けたことはない。原告が右のような土地売却処分がされたことを知ったのは本件書面でこれが問題とされた後のことであって、精神病院に入院している患者の財産を処分するには病院関係者、とくに院長の協力が不可欠であるとする、この点についての被告の主張は全くの独断であり、偏見に満ちている。元来、医師と患者との間の法律関係は、原則として、診療契約に基づいて発生するものであり、医師の義務は、患者の病状に応じて善良な管理者の注意をもってその当時における臨床医学の実践における医療水準に従い適正と認められる措置をとるよう努力することに尽きるのである。精神病院の院長の義務もまたこの域を出でるものではなく、院長が患者の財産上の利益を保護すべき義務など負うものでないことは言をまたないところである。
本件書面には、禮子が山本弁護士から聞いたこととして、まだ静雄の所有名義となっている土地については、「静夫氏死亡後は、菅野氏の病院に寄付され、彼の葬儀は病院で盛大に行うことになっている」との記載があるが、原告は静雄との間で、その財産の管理・処分のことについて何の話合いもしたことはなく、右の記載は全くの事実無根である。本件文書の記載内容は主として被告が禮子から聴取したことから成っているのであるが、そもそも、禮子は静雄との間の民事紛争の結果、その財産を取り上げられたうえ、その意に反して離縁された者であり、静雄の訴訟代理人であった山本弁護士に対しては極度の私怨を抱いており、東武中央病院の関係者に対してもいろいろな誤解を持っている模様である。被告は、禮子からその話を聴いた際、その間の事情を十分に感得できたはずであるから、被害者意識の強い禮子の訴えについては、格別にその信用性を吟味し、その裏付け調査に慎重を期すべきであったというべきである。そして、そのような調査は被告において十分に可能であり、容易なことであった。というのは、原告と被告は同じ埼玉県医師会朝霞支部に属する会員であり、互いの住居は徒歩約五分の至近距離にあり、本件書面に被告が自ら記載したように「和光市で共に二十数年、友人として今日まで交誼のあった」間柄なのであるから、被告において原告に対し禮子の訴えを率直にぶつけてその回答を求めることなど何の困難を伴うことではなかったからである。山本弁護士に対しても、その法律事務所は比較的近距離の浦和市にあり、互いに初対面であったとしても、医師と弁護士という社会的地位において距りのない関係にあるのであるから、被告が山本弁護士に対し、禮子の訴えについて不審点を直接質してその回答を求めるなどの調査をするのに何の支障もあり得なかった。被告が、このような事実調査をすることなく、禮子からの伝聞でしかない事実について自らも事実であることの確信を得ないまま、原告が日本医師連盟から参議院議員選挙の候補者として推せんされるのを阻止することに熱心の余り、禮子からの伝聞にかかる事実に自己の憶測を付加して本件書面を作成し、配布したことはどのように弁解しようとも軽率とのそしりを免れない。
本件書面が配布された当時、原告は、まだ日本医師連盟から参議院議員選挙の候補者として推せんを受けていたわけではなく、全くの私人であったのである。そして、本件書面に摘示された事実は、すべて私人である原告の私行にわたる事項であり、原告は地方都市の一私立病院の院長にすぎず、社会生活上重要な人物としてその私行といえどもこれを公表して社会的批判を甘受すべき立場にはなかったのであるから本件書面による摘示事実をもって公共の利害に関する事実にあたるとはとうていいえない。被告は、原告が日本医師連盟から参議院議員選挙の候補者として推せんされるのを妨害するため、原告の名誉を毀損する悪意をもってあえて事実の公表に及んだものである。
第三 証拠<省略>
理由
一原告と被告の職業・地位に関する請求原因1の事実並びに被告による本件書面の郵送、配布及びその記載内容に関する同2の事実はいずれも当事者間に争いがない。
右事実によれば、本件書面は被告が禮子から聴き取ったことがその主たる記載内容となっているものであるが、その記載内容は、原告の経営する東武中央病院に入院中の患者である静雄所有の土地が、本人が精神薄弱者であるため事情に疎いことを利用して、山本弁護士によって本人の意思に係わりなく売却処分されており、代金として取得された金銭の使途、所在も不明であること、このことを直接本人に聞き質そうとして、静雄の養女である禮子やその代理人である弁護士が東武中央病院へ出向いて面会を求めても院長である原告がこれを拒否しており、山本弁護士の言によると、静雄所有の土地のうち売却処分して残ったものは本人の死亡後東武中央病院に寄附されることになっているとのことである、というものであり、これからすると、本件書面は、これを読む者に対し、山本弁護士による右静雄所有の土地の不正な売却処分には東武中央病院の院長である原告も深く係わっている疑いがあることを強く印象づけるものであることは否定できないところである。したがって、これが公表されるにおいては、原告の人格に対する社会一般からの評価を減少させることは明らかであり、日本医師会が全国に多数の会員を擁する医師の団体であることからすれば、被告がその役員、委員等約一六〇名に対し、郵送の方法で本件書面を配布したことは原告の名誉を侵害するということができる。そして、被告がこのことを知っていたか、そうでないとしても、知り得たことは本件書面の記載内容に照らして明らかである。
二そこで、被告の抗弁について検討する。
1 <書証番号略>、証人星野禮子、星野正志、菅野隆の各証言(ただし、証人星野禮子の証言については後記採用しない部分を除く。)、原告、被告の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 豊麻は埼玉県和光市(旧大和町)の旧家の出身であり、旧大和町の町長を勤めた地元の名士であって、資産家としても知られていた。豊麻にはその妻・ムツとの間に長男・静雄(大正一二年一一月四日生まれ)があったが、静雄は性来の精神薄弱者であるため、豊麻は両親亡きあとの静雄の後事を託する趣旨で、正志とその妻禮子を静雄の養子として迎い入れ昭和四〇年九月一八日その届出をさせた。被告は、昭和二六年から埼玉県和光市内の、豊麻方とはさほど遠くない場所で「田中医院」を開業しており、昭和三五年ころからいわゆるホームドクターとして豊麻やその家族とは親交があった。
(二) 豊麻は昭和四三年一月一八日死亡し、その妻・ムツも同年三月一日相次いで死亡した。豊麻・ムツ夫婦が亡くなったあと、静雄を病院に入院させたいというその親族関係者に頼まれ、被告は同年一二月ころ、医師仲間として予てから知り合いの、原告が経営する東武中央病院を紹介した。それ以来、静雄は入院患者として同病院に身をおくことになったのであり、その病名は「精神薄弱兼心因反応」というものであって、静雄に対しては昭和五四年一〇月一日付けで和光市長の重度心身障害者医療費受給者証が発付されている。
(三) 豊麻の死亡に伴い、多くの土地建物が遺産として残された。これらの土地建物は最終的には静雄が相続によって承継取得したわけであるが、そのうち三六筆の土地が昭和五三年一一月三〇日と同年一二月一〇日の二回にわたって株式会社三友工務店に売り渡されている。これらの土地の地積合計は1896.69平方メートル(573.74坪)に及んでおり、そのうちには贈与を原因として静雄から正志・禮子夫婦とその間の二人の子(当時、未成年)への所有権移転登記がされていたものと、登記簿上、静雄の所有となったままのものとがあるが、いずれも正志・禮子夫婦が合意のうえで売却処分したことに変りはない。
以上の事実が認められ、証人星野禮子の証言中、右認定に反する部分はにわかに採用しがたく、ほかにこれを覆すに足りる証拠はない。
右事実によれば、右三六筆の土地の売却処分には禮子も係わっており、本件書面中にある、親類に相談もなく、禮子が知らない間に売りに出されたという土地のなかに右三六筆の土地が含まれていないことはその記載内容に照らして明らかである。また、右三六筆の土地の売却処分に山本弁護士や原告が係わった形跡は全く見られない。
2 <書証番号略>、証人星野禮子、星野正志、山本正士、富岡俊二の各証言(ただし、証人星野禮子の証言については後記採用しない部分を除く。)並びに原告の本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
(一) 正志と禮子の夫婦仲は前記三六筆の土地の売却処分によって取得した金銭の使途、配分、果ては、互いの異性関係なども係わって悪化し、禮子は、昭和五四年ころから埼玉県朝霞市内にパン屋営業のために取得した店舗用建物に二人の子とともに寝起きして帰宅せず、正志とは別居状態を続けていた。そうするうち、禮子は、昭和五六年一〇月に至り、浦和家庭裁判所に、正志を相手方として、離婚を求める調停の申立てをした。
(二) 山本弁護士は昭和五七年二月ころ、予て知合いの司法書士から正志を紹介され、右調停申立事件について正志の代理人としてその処理に当ることを受任した。その調停期日は六回にわたって開かれ、山本弁護士は第三回から第六回の期日に正志を伴って出頭した。しかし、正志と禮子が離婚するということになると、静雄との間の養親子関係をどうするかという問題も考慮に入れて事案の解決を図らなければならず、そこで、正志の代理人である山本弁護士と禮子の代理人である弁護士・村井勝美は打ち揃って東武中央病院に静雄を訪ね、事情を説明したうえ、その意思を確認した。その結果、静雄は正志との間の養親子関係を継続して、正志に面倒を見てもらうことを希望し、禮子との養親子関係を解消する意思を明らかにした。そうなると、禮子の正志に対する離婚に伴う財産上の請求は静雄との間の離縁をも考慮したものにまで増大してしまい、結局のところ、調停は財産上の請求について折合いがつかず、第六回の期日で不調に終った。
(三) 右調停の過程で、埼玉県和光市新倉<番地略>の宅地九一九平方メートルとその上の三棟の共同住宅及び一棟の店舗兼居宅が登記簿上正志・禮子夫婦とその間の二人の子の所有(店舗兼居宅については正志・禮子夫婦の所有)となっていることが判明した。そして、調停が不調になったあと、禮子は土地の測量をはじめるなど、右土地建物を処分する気配を示しはじめた。右土地は静雄が豊麻から相続した土地のなかでは最も値打ちの高いものであることから、山本弁護士は静雄に対し、その所有権移転登記等の原因となっている売買、贈与等の事実の有無を質したところ、静雄はこれを否定し、正志も右所有権移転登記等は正志・禮子夫婦が静雄の実印を保管しているのを利用して、静雄に無断でしたことを自認した。そこで、山本弁護士は、静雄の意思を確認したうえ、その委任を受けて、右所有権移転登記等の抹消登記手続を求める訴訟を提起することになったが、禮子の動きからして、これに先立ち、右土地建物について処分禁止の仮処分をしておく必要があると判断した。そのためには保証金を準備する必要があり、右土地建物の価額からして、その金額は低くても一五〇〇万円、高ければ四〇〇〇万円或いはそれ以上と見込まれたので、山本弁護士は、静雄と相談のうえ、その所有する土地の一部を売却処分してこれを稔出することにした。こうして、静雄は昭和五八年六月二八日、藤理地所株式会社との間で、埼玉県和光市新倉<番地略>の雑種地六〇〇平方メートルのうち232.4平方メートル(分筆後の地番<番地略>)を四三五八万六〇〇〇円で売り渡す契約をしたのであり、山本弁護士はその場に立ち会い、「土地(農地)売買契約書」(<書証番号略>)にも立会人として署名押印した。そして、これを保証金として、前記新倉<番地略>の土地については、昭和五八年七月一日の受付で浦和地方裁判所による処分禁止仮処分決定の執行の登記がされた。
(四) 静雄が山本弁護士を代理人として、浦和地方裁判所に、正志・禮子夫婦及びその間の二人の子を被告として提起した所有権移転登記等抹消登記手続請求の本案訴訟については、正志は原告(静雄)の請求を認諾し、そのほかの被告らとの間では、正志も利害関係人として参加して、昭和五八年一二月二六日訴訟上の和解が成立した。この訴訟上の和解においては、被告ら及び利害関係人は原告の請求を認める一方、静雄と禮子との間で、離縁をすることの合意がされ、これに伴い、禮子は、静雄から三〇〇万円の支払を受けるほか、静雄所有の一部の土地について所有権移転登記手続を受けることになった。そして、右離縁については昭和五九年三月七日その届出がされ、これより先、正志と禮子の協議離婚については、昭和五八年一〇月三日その届出がされていたところ、右訴訟上の和解において、両当事者の間でこれが有効であることが確認された。
前記藤理地所株式会社に売却処分した土地のほか、静雄は、山本弁護士の関与のもとに、和光市に対し三回にわたって六筆の土地(その地積合計132.54平方メートル)を、富岡泰雄に対し一筆の土地(199.57平方メートル)を売り渡しているが、前者は農道拡張のためその用地として売り渡してほしい旨の和光市からの要請により、後者は道路拡張のため買収される用地の代替地として被買収者である富岡に売り渡してほしい旨の和光市の仲介により、それぞれ売り渡されたものである。
山本弁護士が静雄から委任を受けた前記訴訟等の事務の一切を終了したのは昭和五九年五、六月ころのことであり、山本弁護士は、事務に関する記録及び証拠書類の原本等を整理し、右事務の処理に関して預った現金を清算したうえ、残金を新たに開設した静雄名義の預金口座に入金し、昭和六〇年二月、右記録、書類の原本等とともに、預金通帳を東武中央病院に持参して、静雄に引き継いだ。静雄からの委任事務を処理する過程で、山本弁護士は、静雄が精神上に疾患を有している者であることから、弁護士としての職務上、その精神能力の程度に注意を払い、その都度、静雄との対話を通して、時には静雄の主治医である菅野隆にも立会いを求め、或いは物事に対する判断を用紙にしたためさせてみるなどして、その意思能力及び行為能力の有無を確認し、時には静雄の感情が乱され、冷静な判断が妨げられることのないようにしようとの配慮から、東武中央病院に対し、山本弁護士の承諾なしには何人も面会させないようにしてほしい旨を要請したりもした。
(五) 以上の、静雄所有の土地についての訴訟の提起、売買契約の締結等は、山本弁護士が静雄の意思を確認しながら進めたことであり、院長である原告はじめ東武中央病院の関係者はこれについて直接的な関与はしていない。東武中央病院としては、山本弁護士からの要請により、主治医が山本弁護士と静雄との対話の場に立ち会ったり、山本弁護士の承諾がないことを理由に、場合によっては静雄の精神状態を考慮して独自の判断により保護義務者である正志の承諾がないことを理由に、禮子やその関係者の面会の要求を拒否したことがある。とくに、当時、原告は、東武中央病院の院長ではあったが、日本医師会等の役職にあり、その職務に多くの時間を削かれて、病院の日常業務にもほとんど関与しておらず、山本弁護士による静雄所有の土地の売却処分のことも本件書面が配布されたことによってはじめて知る始末であった。
以上の事実が認められ、証人星野禮子、斉藤輝一の各証言及び<書証番号略>の記載中、右認定に反する部分はにわかに採用しがたく、ほかにこれを覆すに足りる証拠はない。
3 前認定の事実によれば、山本弁護士による静雄所有の土地の売却処分は静雄の委任に基づいた適法なものであり、しかも、原告はこれに直接の関与はしておらず、これと対比すると、本件書面の記載内容は右事実とその重要な部分で大幅な食い違いを見せており、ほかに本件書面の記載内容が真実であることの立証はない。前述したとおり、本件書面は被告が禮子から聴き取ったことがその主要な記載内容となっているものであり、その記載内容からは山本弁護士と原告とが事態の鍵を握る重要な人物であることは明らかである。そうであるとすれば、いやしくもこれを公表しようとするからには、被告としては、まず、山本弁護士と原告に対し、禮子から聴き取った事実を突きつけて事の真相を質すべきであり、そうすることは、右両名や被告の社会的地位、職業、とくに原告と被告とは同じ医師仲間として旧知の間柄にあることからすれば必ずしも困難なことではない。それにもかかわらず、被告がこのような手段を尽すことなく、いきなり本件書面を郵送、配布したことは、被告において原告が日本医師連盟から参議院議員選挙の候補者として推せんされることに個人的に面白くない感情を抱いており、その感情に駆られてのこととみる余地もないではなく、被告が挙示する諸事情を考慮しても、被告において本件書面の記載内容が真実であると信じたことにつき相当の理由があるということはできず、被告の抗弁はその余の点について言及するまでもなく理由がない。
したがって、被告は原告に対し、その名誉が侵害されたことによって被った損害を賠償すべきである。
三証人山本正士の証言と<書証番号略>、原告の本人尋問の結果によれば、本件書面が配布された当時、原告は、間近に迫った選挙期日において、参議院議員選挙の候補者として日本医師連盟の推せんを受けるため全国的な遊説活動をしており、本件書面が配布されたことはその出先で知ったこと、これに驚いた原告は、早速、自宅にいる家族に連絡して、山本弁護士から事情を聴取させ、書面を提出してもらうなどの対抗手段をとったが、結局、このときの選挙期日では推せんを受けることはできなかったことが認められる。そのほか、本件書面が配布された手段・方法及びその記載内容、原告の職業、社会的地位その他本件審理に顕れた諸般の事情を合わせ考えると、原告がその名誉を侵害されたことによって被った精神的苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円とするのが相当である。
ほかに、原告は、全国紙へのその主張の謝罪広告の掲載を求めるが、本件書面は、日本医師会の内部において、しかもその役員等約一六〇名ほどに配布されたにすぎないし、本判決において原告の主張が公的に認められることにより相当程度の名誉の回復が図れることからすれば、原告の名誉回復のために右謝罪広告の必要まではないものとするのが相当である。
したがって、被告は原告に対し、慰謝料三〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(本件書面が配布された日の後)であることが記録上明らかな昭和六一年二月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである。
四よって、原告の請求は右の限度で正当としてこれを認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大塚一郎 裁判官小林敬子、佐久間健吉は転任のため署名押印できない。裁判長裁判官大塚一郎)
別紙謝罪広告
私は昭和六〇年六月二日ころ「菅野寿氏の参議院議員立候補に強く反対を表明します。」と題する書面に、貴殿が貴殿経営の病院に入院中の某精薄患者の所有する時価数億円の土地を勝手に売却処分したうえ、同患者所有の時価七、八億円の残りの土地も同患者の死後貴殿の病院に寄附する約束をさせた疑いがある旨記載し、日本医師連盟の役員、委員に宛て郵送しましたが、右書面の記載内容は虚偽かつ不当であり、貴殿の名誉を毀損し多大のご迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します。
昭和 年 月 日
埼玉県和光市本町<番地略>
田中茂
埼玉県和光市本町<番地略>
菅野寿殿